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日本のコト 2018.3.29

Patina歳時記|桜の語源ってなに?お花見はいつはじまったの?意外と知らないお花見や桜の由来や意味

[Patina歳時記 ]次世代に残したい持続可能なモノ・ヒト・コトの基本。大切に受け継ぎたい日本の歳時記をお届けします

 

今年は桜の開花が早く、3月なのにとても暖かくて、すでに満開を迎えていますね。

かつては「桜=入学式」というイメージがありましたが、年々開花の時期は早まっていて、だんだん卒業式シーズンに満開のピークがずれつつあるようです。今週末は各地の花見スポットが多くの人で賑わいそうですね。

一斉に咲き、たった2週間程度で散ってしまう桜は、日本人にとっては馴染み深く重要な春の風物詩。

でも実際にお花見をすると、桜を見るのは最初だけで、だんだん呑んで食べてに夢中になってベロンベロンに…なんてこともありますが、そもそもお花見っていつごろからはじまったのでしょうか?

お花見や桜の歴史について調べてみました!

 

お花見はいつからはじまったの?

お花見の歴史は古く、奈良時代頃からはじまったと言われています。

しかし、当時のお花見で楽しむ花は、なんと「桜」の花ではなく「梅」の花が一般的だったそう。

今でこそお花見や、日本を代表する花イメージは「桜」が不動の位置にありますが、当時は「梅」の方が人気があったのです。

万葉集で詠まれている歌も、桜よりも梅の歌の方が3倍も多いそうで、圧倒的に梅の方がメジャーな花だったことがよくわかります。

しかし、梅人気に押され気味だった桜も、時代の変化と共に変化が訪れます。平安時代になると花見で桜が愛でられるようになり、桜の歌も梅の歌を上回るように。

実は、梅は中国から伝わったものですが、桜は日本に古くから自生していた植物。それまでは中国との交流が盛んなこともあり、梅も日本に持ち込まれましたが、遣唐使が廃止されたことで、日本独自の桜が発展していったのです。

元々は貴族が庭にある桜の木の下で歌を詠むことからはじまった花見ですが、徐々に武士の間にも広まり、桜の下で宴会をするいまのお花見のスタイルは、豊臣秀吉からはじまったと言われています。

 

「さくら」という言葉の語源とは

実は、農民の間でも行われていたお花見。それは貴族たちとは違った意味合いを持っていました。

そもそも「さくら」という言葉の語源は稲作と関係していると言われています。

農耕の神様を意味する「さ」という言葉に、神様の居場所を意味する「御座(みくら)」の「くら」が合わさって「さくら」になったという説があります。

農民たちの間では、春の訪れと共に冬の神様を山に送り、春の神様を迎える行事としてお花見が行われており、桜の咲き具合を見てその年の豊作を占ったそうです。

日本人にとって大切なお米と関係する大切な神様の居場所である桜。日本人がこれほどまでに桜を愛するルーツはこんなところにもあったのですね。

 

お弁当やつまみといっしょにお酒を呑んで楽しむのもいいですが、由来を知ったらお米を美味しく頂くお花見もいいのではないでしょうか?

いろはヒカリエシンクス店、池袋WACCA店で販売している、寝かせ玄米のおはぎ。

 

■寝かせ玄米とにほんのいいもの いろは

http://www.omusubi-iroha.com

 

編集部ゆうな

絵を描くこと、ものづくりが好きで高校からデザインを学んで某美大へ。卒業後は企画を学びに代理店に就職。 プランナーという名の何でも屋だったので、マンガ連載や似顔絵作成など、まったく関係ない能力が色々と身につく。ライターとしては勉強中。 今より約10kg以上も太っていた過去が…! 自力で食の勉強をするうちに大の料理好きに。今は痩せた幸せと玄米を噛みしめている。 料理好きが高じて最近では釣りや陶芸、包丁も柳刃や出刃まで揃えて自分で研いだりしているが、「女子力っていうか、凝り性なおじさんに近いよね」という友人の指摘は概ね間違ってはいないと思う。